柏原文書 かせばらもんじょ
| 員数 | 140点 |
|---|---|
| 地域 | 伊都地域 |
| 所在地 | 橋本市柏原(和歌山県立博物館寄託) |
| 時代 | 鎌倉前期~桃山 |
| 指定年月日 | 令和元年8月29日指定 |
| 指定等区分 | 県指定 |
| 種類 | 古⽂書 |
| 所有者 | 柏原区 |
解説
柏原文書は、橋本市柏原区において、鎌倉時代・寛元2年(1244)から近代にいたるまで蓄積されてきた数千点に及ぶ古文書群である。指定されているのは、この中で寛元2年(1244)から慶長2年(1597)にかけての年号のあるものを中心とした、中世文書計140点である。これらは現在「重要文書」と貼紙の付された近代の「黒箱」に納められているが、天文13年(1544)の文書に、「柏原村箱コレニアリ」とあることから、この頃には既にこうした「黒箱」に近い形で、村民の手によって文書群が管理されていたことが推定できる。
本文書は、中世より柏原村の村民によって営まれ、その精神的・宗教的な中心として機能した西光寺に関係する土地証文が多い。全140点のうち、寄進状が25点、売券が17点であり、このうち西光寺およびその鎮守社・証誠権現社宛てのものなどは、多様な人によって寄進・売却がなされ、中世柏原村が独自の経済基盤を形成していった経緯を示している。またその中で「仏物」として土地が寄進されたという記述から、社会通念に基づいて共有財産の形成がなされた実態もうかがうことができる。このように「仏物」となった土地・財産は、個人によって占有されることのない、村の共有財産として運用されることが社会通念上保証されていたのである。こうした惣有田という経済基盤をもとに自律的・自治的に運営された惣村は、近畿では鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて、全国的には室町時代までに形成が進んだ。惣村の成立は「惣有財産」「地下請」「村掟」「自検断」という用件で主に語られるが、柏原村は惣村形成の全国的にも早い時期の例として、また惣有地のあり方を具体的に示すものとして、荘園研究・惣村研究で広くとり上げられてきた。
このように本文書は、粉河寺領東村や鞆淵荘と並び、紀伊を代表する惣村である中世柏原村の経済基盤の確立とその変遷を示す点で学術上の価値が高い。