龍松山城跡 りゅうしょうざんじょうあと
員数 | 11,234平方メートル |
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地域 | 西牟婁地域 |
所在地 | 西牟婁郡上富田町市ノ瀬 |
指定年月日 | 令和3年4月16日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 市ノ瀬愛郷会、市ノ瀬財産区 |
解説
上富田町市ノ瀬を中心に勢力を伸ばした室町幕府奉公衆山本氏の本拠である中世山城であり、紀南地域で最大規模を誇る。
標高約123メートルの通称辰巻山(たつまきやま)の山頂に位置し、南北約250メートル、東西約160メートルに及ぶ縄張りを有する。発掘調査の結果、礎石列や土坑列、石積みを持つ土塁、溝などの以降が確認され、15世紀後半から16世紀前半にかけて曲輪が機能していたことが分かった。戦時の最終拠点として立て籠もる詰城(つめじろ)ではなく、居館としての機能も備えた武家の本拠として機能していたと考えられている。
戦国時代における紀伊半島の政治情勢、在地領主の支配形態とその変化を顕著に示す点で学術上の価値が高い遺跡である。