上矢印を示すアイコン 外部リンクを示すアイコン Xを示すアイコン Lineを示すアイコン Facebookを示すアイコン リンクコピーを示すアイコン グリッドレイアウトを示すアイコン リストレイアウトを示すアイコン 左矢印を示すアイコン 右矢印を示すアイコン

安宅氏城館跡 あたぎしじょうかんあと

ノーイメージ画像
地域 西牟婁地域
所在地 西牟婁郡白浜町安宅ほか
時代 鎌倉時代~戦国時代
指定年月日 令和2年3月10日指定
指定等区分 国指定
文化財分類 史跡
所有者 白浜町,法人,個人
管理団体 白浜町

解説

鎌倉時代末期から南北朝の動乱を経て、室町・戦国時代の紀伊国の複雑な政治情勢の中で、安宅氏が地方領主(熊野水軍)として、自らの領域を支配するために築いた城館群である。安宅氏の本拠である安宅氏居館跡をはじめとし、八幡山(はちまんやま)城跡、中山(なかやま)城跡、土井(どい)城跡、要害山(ようがいさん)城跡、大野(おおの)城跡、勝山(かつやま)城跡及び大向(おおむかい)出城からなり(このうち安宅氏居館跡、八幡山城跡、中山城跡、土井城跡、要害山城跡の5か所が文化財指定)、それぞれが固有の役割・性格を担っている。
これらの城館跡は、列島の東西を結ぶ海上交通の結節点である紀伊半島南岸部において、安宅氏が自律的な領域支配を行っていたという証左となる。特に戦国期においては、隣接する勢力との抗争の中で、戦略的に城館を築城している状況が確認でき、中世の熊野水軍の領域支配の様相の一端を示している。また、他の熊野水軍の城館跡と比較して、卓越した規模かつ良好に遺存し、それらが相互に関連している様相が窺え、熊野水軍の存在形態を示す城館跡として貴重である。