南方熊楠記念館本館 みなかたくまぐすきねんかんほんかん
員数 | 1棟 |
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地域 | 西牟婁地域 |
所在地 | 西牟婁郡白浜町3601-1 |
時代 | 昭和40年 |
指定年月日 | 令和元年12月5日登録 |
指定等区分 | 国登録 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 公益財団法人南方熊楠記念館 |
解説
西牟婁郡白浜町の番所山(ばんしょやま)公園内にある建造物である。南方熊楠は、和歌山県が生んだ世界的な学者であり、植物学・菌類学のみならず、広く学問の対象を拡げた。昭和4年(1929年)には田辺湾に停泊した軍艦長門の艦上で、植物学者であった昭和天皇に田辺湾の神島(かしま)をはじめとした植物について進講し、昭和天皇の記憶に深く刻まれることとなった。南方没後の昭和37年(1962年)に白浜に行幸された昭和天皇は、雨に煙る神島を見て南方を思う御製を詠まれた。これが記念館設立の大きなきっかけとなった。
記念館本館は、昭和39年(1964年)5月19日に起工、昭和40年(1965年)3月20日に竣工し、同年4月1日に開館した。南方の遺した文献、標本類、遺品等を保存し、一般公開することで、南方の偉業を後世に伝える施設である。
本館の設計者は野生司義章(のうすよしあき)である。野生司は昭和15年(1940年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、大日本土木株式会社等の勤務を経て、野生司建築設計事務所を開設し全国で活躍した建築家である。また千葉工業大学教授として、人材の育成にもあたった。
本館は鉄筋コンクリート造2階建で、緩い糸巻き型とした細長い平面形である。正面側には新館が接続する。正面は1階に玄関と旧受付を設け、受付部は石張りとする。2階は腕木で正面側に張り出して造る。2階の庇は丸みを帯びたコンクリート斫り(はつり)仕上げとした量感のあるものとなる。薄く仕上げた袖壁を突き出した、緩い上すぼまりの安定感ある立面で、コアとして各階を結び屋上まで突き出た塔屋状の螺旋階段部が、左右対称性を破り、良いアクセントとなっている。
1階は正面に玄関ホールと旧受付を取り、廊下に沿って旧会議室等を設ける。玄関ホールには螺旋階段がある。螺旋階段はコンクリートで美しく造られている。2階には南の階段ホールを経て、展示室がある。展示室の背面側は貴賓室となる。貴賓室の北面は間口一杯に窓を設け、部屋からは田辺湾が一望出来る。昭和天皇のご来館はなかったものの、多くの皇族がこの貴賓室を使用された。
モダニズムを基調とした外観であるが、重厚な庇を設けた量感のある立面となっており、1960年代の建築ムーブメントの一こまを物語る。また全国的に知られている野生司義章の作品は少なく、近現代建築史の研究上も貴重である。