高野参詣道 三谷坂 こうやさんけいみち みたにざか
地域 | 伊都地域 |
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所在地 | 伊都郡かつらぎ町 |
指定年月日 | 昭和52年7月14日指定、平成9年3月6日追加指定、平成27年10月7日追加指定・名称変更、平成28年3月1日追加指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
管理団体 | かつらぎ町 |
解説
紀の川左岸の丹生酒殿(にうさかどの)神社から峠を越えて、丹生都比売(にうつひめ)神社のある天野(あまの)盆地に至る区間及び丹生都比売神社から町石道に合流するまでの区間である。慈尊院を出発する町石道よりも距離が短く、短時間での高野山への参詣が可能である。
平安時代末期の院政期、白河上皇第四皇子で仁和寺第4世門跡覚法法親王が高野参詣の折にこの道を利用したのが最初の記録である(『高野参籠日記』)。かつて天皇の勅使が通ったことから「勅使坂」とも呼ばれている。沿道には、弘法大師の笠が雨引山から風に飛ばされてこの石に掛かったという「笠石」や「頬切れ地蔵」と呼ばれている磨崖仏形式の石仏、「的石(まっとういし)」と呼ばれる登山の目印となった巨石などがあり、近くに谷川や「涙石」と呼ばれる水飲み場もある。
丹生都比売神社の起源が金剛峯寺より古いといわれていることから、町石道の造営以前から存在していた可能性がある。
現在、丹生酒殿神社境内地と旧状が良好に残る山腹斜面から峠道が史跡指定されており、丹生酒殿神社には丹生都比売神社と一体的な伝承が多く残されている。また、丹生酒殿神社の脇から山腹斜面にかけて舗装されている区間は、県指定史跡「三谷坂」となっている。