大畑才蔵勝善の墓 おおはたさいぞうかつよしのはか
地域 | 伊都地域 |
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所在地 | 橋本市学文路 |
指定年月日 | 昭和44年4月23日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 個人 |
解説
大畑才蔵は寛永19年(1642年)に生まれ、寛文4年(1664年)に23歳で父の跡を継ぎ、学文路(かむろ)村の庄屋となるとともに郡方御用(ぐんかたごよう)を務めた。元禄9年(1696年)から地方手代(じかたてだい)に、元禄10年(1697年)には御勘定人並(ごかんじょうにんなみ)に取り立てられた。水利関係の土木事業に大きな功績を残し、代表的な工事は藤崎井(ふじさきい)や小田井(おだい)の用水路である。また、地方経済にも大きな功績を残した。
墓は学文路の山腹にある大畑家墓地の第2列、中央にある。