隅田八幡神社経塚 すだはちまんじんじゃきょうづか
員数 | 29.9㎡ |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 橋本市隅田町垂井622 |
指定年月日 | 平成19年6月12日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 隅田八幡神社 |
解説
橋本市にある隅田八幡神社境内本殿裏の石積み基壇内から平成9年(1997年)の整備工事中に発見された経塚である。平成9・10年に発掘調査が実施され、第1~第3経塚の3基からなる経塚の規模や構造、築造過程が解明された。経塚は一辺約5メートル四方の石垣の盛り上がった塚状の中に築かれており、中央には元中2年(1385年)銘のある宝篋印塔(ほうきょういんとう)が存在していた。
第1・第3経塚は後世の攪乱(かくらん)によって原形は不明であるが、第2経塚は一辺が約10尺(約3メートル)の正方形をした石垣に囲まれた中央に位置し、常滑焼(とこなめやき)の甕(かめ)を外容器とし、中には銅製経筒、銅鏡、青白磁小壺が納められていた。経筒には紙本経の妙法蓮華経8巻が納入されていた。銘文から長寛2年(1164年)に書写されたもので、藤井氏の娘の現世利益と子孫の無事を祈願して埋納されたことが判明した。