畔田十兵衛墓 くろだじゅうべえはか
員数 | 1基 |
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地域 | 西牟婁地域 |
所在地 | 田辺市本宮町本宮 |
指定年月日 | 昭和40年9月20日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 田辺市 |
解説
畔田十兵衛は、翠山(すいざん)とも号し、医者をしながら本草学を研究した。加賀白山(はくさん)での採集旅行を手始めに、海産動物を中心とした調査のために諸国を巡った。日本最初の水産動物誌『水族志』や諸物の名称を考察した大著『古名録』など多くを著した。安政6年(1859年)、熊野での採薬旅行中に本宮で没した。墓は本宮竹の坊一家の墓地内にあり、墓石の正面には「賢性曹徹信士」、右に「安政六未年六月十八日没」、左に「畔田十兵衛事」と刻まれている。