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粉河寺 こかわでら

員数 4棟
構成要素 本堂(ほんどう)、千手堂(せんじゅどう)、中門(ちゅうもん)、大門(だいもん) 附指定:指図3枚、文書1紙、棟札1枚
地域 那賀地域
所在地 紀の川市粉河2787
時代 江戸時代中期~末期
指定年月日 平成8年12月10日指定
指定等区分 国指定
文化財分類 有形文化財(建造物)
所有者 粉河寺

解説

紀の川中流に位置し、8世紀の創建といわれる。西国三十三所観音巡礼の第3番札所(ふだしょ)として栄えた。現在の境内を構成する建築群の大半は、正徳3年(1713年)の火災以後、漸次整備されたものである。境内の南西に総門である大門が南面して建ち、大門をくぐると境内が右に折れ、本坊、羅漢堂(らかんどう)、童男堂(どうなんどう)、念仏堂(ねんぶつどう)に至る。さらに進むと西面して中門(ちゅうもん)が建ち、その奥に本堂、千手堂が南面して建つ。
本堂は、地元粉河の工匠により享保5年(1720年)に上棟した建築であるが、その細部の完成は18世紀半ばまで遅れる。一重屋根の礼堂(らいどう)とその後方に建つ二重屋根の正堂(しょうどう)が結合した大型の複合仏堂である。礼堂の正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)の向拝(こうはい)を設け、正堂の正面にも軒唐破風を付けるなど、複雑な平面構成と変化に富む外観を持つ。また、多数の巡礼者が参拝できるよう、外陣(げじん)は広く取られている。
千手堂は、本堂の復興が完了した後に上棟した宝形造(ほうぎょうづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)の三間堂(さんげんどう)で、正面に一間の向拝が付く。本堂と同じく粉河の工匠の手になる。
中門は棟札により天保3年(1832年)の建築であることが分かるが、そこには明和期から建築を始めたことが記されており、着工から約60年後に竣工したことになる。三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺で、正面と背面に唐破風を付ける。1階正背面両脇に四天王像を安置する。
大門は鬼瓦の銘から宝永4年(1707年)に建てられたことが分かる。境内の大型建築の中では唯一、正徳3年の火災以前の建築である。三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺で、正面は約12.5メートルに及ぶ大型の門である。組物(くみもの)は1階・2階とも斗(ます)と肘木(ひじき)が一体となった雲肘木状(くもひじきじょう)の組物を用いる。1階正面の両側には金剛力士像を安置する。

所在地

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