豊臣家墓所 とよとみけぼしょ
地域 | 伊都地域 |
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所在地 | 伊都郡高野町高野山 |
指定年月日 | 昭和33年4月1日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 金剛峯寺 |
解説
奥の院参道に向かって左側の高台地にあり、江戸時代末期までは一の橋を入った左側にあったものを現在地に移したものであるという。石造五輪塔は花崗岩製で台石からの総高は2.72メートルである。豊臣秀吉は木食応其上人を信頼して高野攻めを思い止まり、後に高野山を保護して興隆に寄与し、高野山に一族の墓所を建てた。これが基因となって江戸時代には全国の諸大名が競って石塔を建立することとなった。