武田信玄・武田勝頼墓地 たけだしんげん・たけだかつよりぼち
地域 | 伊都地域 |
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所在地 | 伊都郡高野町高野山 |
指定年月日 | 昭和43年4月16日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 桜池院 |
解説
武田信玄は甲斐国の戦国大名であり、また青蓮院流書道の大家であり、画もよくし、『本朝画史』ではその画風が絶賛されている。その息子勝頼も父に劣らぬ能筆といわれ、一族揃って当代一流の文化人であった。天台・真言・禅宗に対して信仰篤く、高野山には特に深い関心を寄せていた。
武田家墓地は奥の院の一角にあるが、武田家が勝頼の代で断絶したため墓域は狭く、墓も簡素なものである。