木造神像群 もくぞうしんぞうぐん
| 員数 | 10躯 |
|---|---|
| 地域 | 伊都地域 |
| 所在地 | 伊都郡かつらぎ町三谷(和歌山県立博物館寄託) |
| 時代 | 平安~鎌倉 |
| 指定年月日 | 平成28年3月15日指定 |
| 指定等区分 | 県指定 |
| 種類 | 彫刻 |
| 所有者 | 宗教法人龍谷寺(三谷薬師堂) |
解説
伊都郡かつらぎ町三谷の薬師堂に伝来した木造神像群である。女神7躯、男神1躯、童子形神2躯の計10躯を伝え、その作風からA群(女神坐像その1・その2・その3の)、B群(女神坐像その4・その5・男神坐像)、C群(女神坐像その6・その7・童子形神坐像その1)、これらのいずれにも属さない童子形神坐像その2、の4群に分類される。
A群の3躯は、体奥浅く、膝の張りを抑えた造形に平安時代後期の余風を残しつつ、頬顎が張り目尻を切り上げた意志的な面貌と、腰を落とし背を反らせた坐勢に鎌倉時代初頭期の作風が明瞭に表れている。一方、A群以外の像は、像全体がなだらかな面構成で捉えられ、目鼻口を小振りに表す穏やかな面貌表現とともに平安時代後期の作風が看取される。
本神像群が伝来した薬師堂は、近世以来、三谷地区の龍谷寺が管理に関わってきた。同寺には明治の神仏分離の際、近隣の丹生酒殿神社から引き継がれた大般若経が伝わっており、本神像群の伝来にも同社周辺の事情が関わっている可能性が指摘される。丹生酒殿神社付近は、丹生都比売神社の主神・丹生明神の降臨の地に比定され、中世においては、両社間に密接な繋がりが形成されていたことがわかっている。この丹生都比売神社の祭神像は、記録によれば銅製の神像で、法量・形状が女神坐像その1にほぼ等しいものであったことが確かめられる。A群の3躯は、丹生都比売神社の銅製神像を造像する際に木型として使用され、後に丹生酒殿神社に下されたものと推測されるのである。伝来が明らかでないB群以下についても、同じく丹生都比売神社と関連する近隣地域内に伝来した可能性が高い。
本神像群は、高野山開創にも深く関わった丹生明神の関連遺品として、紀州の宗教文化史上に重要な意義を有すると同時に、中世の鋳造制作の実態を示す一群を含み、日本彫刻史の観点からも高く評価される作である。