向井家文書 むかいけもんじょ
| 員数 | 2,251点 |
|---|---|
| 地域 | 海草地域 |
| 所在地 | 和歌山市寺内(和歌山市立博物館、和歌山大学寄託) |
| 時代 | 鎌倉~近代 |
| 指定年月日 | 令和4年2月16日指定 |
| 指定等区分 | 県指定 |
| 種類 | 古⽂書 |
| 所有者 | 個人 |
解説
向井家文書とは、和歌山市加太に所在する向井家に伝わった、鎌倉時代の文永7年(1270)から近代にかけての古文書2,251点を指す。向井家は摂関家(近衛家)領であった加太荘(かだしょう)において中世から近世に入るまで刀禰公文(とねくもん)(在地の荘官)を務めたとともに、中世以来葛城修験 の始点として重要な拠点であった和歌山市加太の伽陀寺(かだじ)(明治期に廃絶)の別当 として「迎之坊(むかいのぼう)」を名乗り、全国から多くの修験者を迎えた。こうした向井家の役割から、本文書群の特徴は大きく以下の二つに分けられる。
① 中世荘園経営の実態と、中世の漁村・港町の実態を示す文書
向井家文書には、天文21年(1552)の年貢徴収の帳簿類や、天文16年(1547)の田畠の規模ごとに対応する年貢が示された早見表など、荘官としての向井家の実務に用いられた文書が残されている。また、弘安3年(1280)のサワラやハマチなどの漁獲配分についての定めや、正和2年(1313)の難破船の荷物の回収権に関するものなどからは、漁村・港町としての加太荘の実態をうかがうことができる。
② 中近世における葛城修験の様相を示す文書
本文書群中最も古い文永7年(1270)の年紀を持つ文書(B)には、熊野三山検校法親王が焼失した伽陀寺再建のための支援を諸国の修験者に求めたことが記されている。中世後期を通じて、伽陀寺は本山派を中心に高野山や鎌倉・摂津・播磨など、宗派や地域を問わず多くの修験者を迎えた。近世に入ると聖護院の末寺として本山派の重要寺院となり、毎年行われる聖護院門跡 の葛城入峯 の接遇のため、屋敷の畳替えを寺社奉行に申し出たり、京都で事前の調整を行ったりしたことなどを記した膨大な記録が残る。
このように向井家文書は、全国的にも珍しい中世荘官の家に伝来した文書群であり、中世紀伊国の浦・漁撈の実態を窺わせる資料や、中近世における葛城修験の重要拠点としての膨大な記録など、貴重な内容を数多く含んでおり、学術上の価値が高い。