広八幡神社本殿 ひろはちまんじんじゃほんでん
員数 | 1棟 |
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構成要素 | 附指定:棟札8枚 |
地域 | 有田地域 |
所在地 | 有田郡広川町上中野206 |
時代 | 室町時代中期 |
指定年月日 | 昭和4年4月6日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 廣八幡宮 |
解説
『南紀在田郡広荘八幡宮記録(なんきありだぐんひろのしょうはちまんぐうきろく)』によると、欽明天皇の頃に河内国の誉田八幡宮(現在の大阪府羽曳野市)から勧請(かんじょう)されたとある。しかし、その他いろいろな点から推定すると、少なくとも鎌倉時代初期の承久3年(1221年)までに創建されたものと推定されている。当社は、村の鎮守ではなく荘園において中心的なもので、地方の有力な土豪層が寄進、維持に当たってきたものである。近世になっても浅野幸長や紀州徳川家からの寄進や援助を受けている。
本殿は、摂社の棟札に応永20年(1413年)建立の記載があり、このときの建立と推察される。大型の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、木割(きわり)も大きく、蟇股(かえるまた)の輪郭・内部彫刻は卓越したものがある。棟札が多く残されており、修理の変遷が窺い知れる。安永5年(1776年)には紀州徳川家から原木の寄付や大工棟梁の応援を受けて大規模な修理が行われている。