神野阿弥陀堂 こうのあみだどう
員数 | 1棟 |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 伊都郡かつらぎ町東谷1049 |
時代 | 江戸中期 |
指定年月日 | 令和元年12月5日登録 |
指定等区分 | 国登録 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 神野町内会 |
解説
東谷(ひがしたに)地区のうち神野(こうの)集落の北側高台に所在する仏堂である。村の共同体により建築されたもので、江戸時代以来、神野の人々によって共有・管理されてきた「村堂(むらどう)」である。本尊は阿弥陀如来である。村人のみならず、修験者の参籠(さんろう)にも用いられ、堂内の壁板には江戸時代各期の年紀のある多数の墨書(ぼくしょ)が見られ、最も古いものでは貞享3年(1686年)があり、建築年に比定される。
木造平屋建、茅葺(かやぶき)金属板仮葺(茅葺上に鉄板により被覆)である。三間の小さな仏堂であるが、軸部の建ちが低い割には急勾配の茅葺屋根の量感が卓越した、独特の外観である。
三間四方の平面の四周に、吹き放しで角柱の庇(ひさし)柱を建て、回り縁(えん)を設ける。外部の柱は角柱で、面取りが大きく取られ、クリ材が用いられている。内部は三間四方のうち、正面側一間を外陣(げじん)、その他を内陣(ないじん)とする。内部柱は丸柱でケヤキ材が用いられる。内陣の背面寄りに仏壇を構える。
装飾的要素は少ないが、木太い軸部で安定感がある。屋根は急勾配で量感のあるものであり、神野の集落の信仰の場であるとともに歴史的景観の核となっている。また、江戸時代中期に遡る古い建造物であり、紀北地域の村堂の貴重な一例である。