苅萱道心・石童丸関係信仰資料 かるかやどうしん・いしどうまるかんけいしんこうしりょう
員数 | 一括(32点) |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 橋本市学文路 |
指定年月日 | 平成21年3月17日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 有形⺠俗⽂化財 |
所有者 | 西光寺 |
解説
中世高野山で活躍した高野聖(こうやひじり)の活動は多様であるが、萱堂聖(かやどうひじり)と呼ばれる一派が布教や勧進のために伝えた苅萱道心と石童丸の物語は、謡曲「苅萱」、説教節「かるかや」、浄瑠璃「苅萱桑門筑紫𨏍(かるかやどうしんつくしのいえづと)」をはじめ、琵琶語り、浪花節(なにわぶし)、盆踊りの口説き唄としても語られ、全国的に流布した。
高野山参詣道に位置する橋本市学文路(かむろ)は、石童丸の母親である千里ノ前(ちさとのまえ)ゆかりの地として、女人禁制のため高野山への参拝が許されなかった女人を対象とした唱導の場として賑わった。
現在、学文路苅萱堂には、苅萱道心、石童丸、千里ノ前、玉屋主人(石童丸親子が宿泊した宿の主人)の木像をはじめ、苅萱物語の唱導に使用された用具が多数伝存する。これらの用具の中には、千里ノ前ゆかりの人魚や、石童丸御杖の銘竹、夜光の玉、蛇柳、飛鉦鼓など謎めいた説教用具もあるが、いずれも異様な存在感を持つものだけに、奇怪なものへの興味と高野聖の巧みな唱導によって、参詣者が苅萱物語の世界に誘われつつ高野山への信仰を高めていった様子を彷彿とさせる。また、同寺には参詣人に頒布された苅萱物語を素材とした縁起や御札の版木も伝わり、当時の盛況ぶりを伝える。
なお、苅萱物語の旧跡は高野山や善光寺にもあるが、物語の唱導に関する遺品は既に失われている。その意味からも、学文路苅萱堂に残されたこれらの資料は、近世高野山の庶民信仰を窺い知る上で貴重な存在である。