利生護国寺山門 りしょうごこくじさんもん
員数 | 1棟 |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 橋本市隅田町下兵庫732 |
時代 | 江戸時代中期 |
指定年月日 | 令和元年9月10日登録 |
指定等区分 | 国登録 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 護国寺 |
解説
橋本市隅田町下兵庫に所在する真言律宗の寺院である。覚王山利生院と号し、「大寺」(おおでら)とも称された。寺伝では奈良時代、僧行基の開基とするが、古い時期の詳細は不明である。中世には、在地の武士団「隅田(すだ)党」との関係から隅田氏の氏寺として再興されたようである。現在の本堂は室町時代前期の建立とされ、国の重要文化財に指定されている。
山門は伽藍の南に建つ。木造、一間一戸、四脚門(しきゃくもん)、切妻造、瓦葺。柱間は3.59メートルで比較的大きく、建ちが高く、「大寺」と称された寺門にふさわしい。
門柱は丸柱、控柱は角柱で礎石建て。門柱には冠木(かぶき)を架け、控柱には桁行と梁間に頭貫(かしらぬき)を架ける。正背面の頭貫は虹梁(こうりょう)型に造り、側面梁間の頭貫は冠木と組み合う。両妻に腰貫を通し、腰長押を打つ。
控柱上には実肘木付の連三斗を据え、妻虹梁と桁を載せる。正背面及び妻虹梁の中備は実肘木付の間斗束とする。妻虹梁と冠木から束立ちに棟木を架ける。軒は一軒疎垂木である。
建立年代は不明だが、虹梁の絵様(えよう)からは、江戸時代中期の建設と推定される。
利生護国寺は地域の中心的寺院であり、奈良西大寺の直轄末寺として紀州における真言律宗の拠点となっていた。現存する重要文化財の本堂は当時の遺構として貴重な存在となっている。そして本堂の前に建つこの山門は江戸期の再建だが、位置的にも規模的にも中世再興時の寺観を彷彿とさせる。地域の核として中世以来存続してきた寺院の、歴史的景観を担う存在として貴重なものである。