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新宮城跡 附 水野家墓所 しんぐうじょうあと つけたり みずのけぼしょ

新宮城跡 附 水野家墓所1
地域 東牟婁地域
所在地 新宮市丹鶴,新宮市新宮字石ヶ坪
指定年月日 平成15年8月27日指定
指定等区分 国指定
文化財分類 史跡
所有者 新宮市

解説

新宮城は、熊野川河口部南岸の標高約60メートルの独立丘陵上に位置する。関ヶ原の合戦後、新宮に入部(にゅうぶ)した浅野忠吉が築城を開始し、その後、紀州藩附家老の水野重央(重仲)が城主となっている。城の郭(曲輪)の配置は丘陵東部に本丸が位置し、その南西端に天主台がある。本丸の西方には鐘ノ丸、その北に松ノ丸が配置されている。松ノ丸には西方向に降りていく大手道がつながっているが、東側にも船着場や炭納屋(すみなや)群がある水ノ手郭へ降りる階段が取り付く。本丸の北側には独立した小郭の出丸(でまる)がある。出丸は川方面に突き出しているため、船着場を見下ろせるだけでなく、熊野川河口や上流方向も大きく見通せる。このように、河川・海上の両水上交通を押さえた要衝の地に新宮城は立地している。
附指定(つけたりしてい)の水野家墓所は、紀州藩附家老水野氏の墓所で、新宮城の南南西約1.5メートルの位置にある市田川右岸の小丘陵上に、新宮城主歴代の墓碑と親族等の墓碑16基が参道に面して立ち並んでいる。墓碑はほぼ同じ形態で、材質は熊野産の黒雲母花崗斑岩(くろうんもかこうはんがん)である。

所在地