森田節斎翁墓地 もりたせっさいおうぼち
地域 | 那賀地域 |
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所在地 | 紀の川市荒見字木の下 |
指定年月日 | 昭和33年4月1日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 個人 |
解説
幕末の儒学者森田節斎は、文化8年(1811年)に奈良の五条に生まれ、京都で頼山陽に、江戸で古賀洞庵(こがどうあん)に学び、43歳の時京都で塾を開いた。門人が天誅組に加わったため身辺が危険となり、慶応元年(1865年)に荒見の北家に身を寄せたが、明治元年(1868年)に没した。墓は、門人たちによって荒見の北家累代墓所に建てられ、緑泥片岩(りょくでいへんがん)の自然石で、総高175センチ、主石に「節翁先生墓」と彫られている。