木造菩薩形坐像 もくぞうぼさつぎょうざぞう
| 員数 | 1躯 |
|---|---|
| 地域 | 那賀地域 |
| 所在地 | 紀の川市平野(和歌山県立博物館寄託) |
| 時代 | 平安時代 |
| 指定年月日 | 平成26年3月17日指定 |
| 指定等区分 | 県指定 |
| 種類 | 彫刻 |
| 所有者 | 佃・林ヶ峰町内会(観音寺) |
解説
髻を結い、衣をまとって蓮華座の上に坐す菩薩形坐像である。髻から蓮華座に至る像の大部分を針葉樹(ヒノキか)一材から彫り出し、左肘先(現状、欠失)、右手先(現状、右膝頭の表面を含んで欠失)、冠繒(冠を結ぶ紐)の先端(現状、欠失)を別材製としている。現状、両手先を失うが、その残存部からもともとの印相(仏の動きを象徴する手の構え)を推定すると、左手を屈して胸前に掲げ、右手を膝前に垂れる形が復元される。これは密教尊(密教の教義に基づく尊像。例えば曼荼羅などがある。)を表した作品に類例があり、本像も何らかの密教尊としてつくられた可能性が高い。本像は、太くかつ高く結い上げられた髻、四角張った顔に切れ長の目と小作りの鼻口を配した面相、そして頭髪の上半分に段差を設ける造りなどが特徴的である。これは、大阪・観心寺如意輪観音坐像(国宝)や京都・神護寺五大虚空蔵菩薩坐像(国宝)といった9世紀前半の作例を筆頭に類例が見られ、本像もその系譜上に位置づけられる。ただし、本像では、これらに比べて肉身の量感が控えめで、脚部の衣文が衣の質感を減退させて形式化が進んでいることから、少し降った9世紀中頃に制作されたものと推定される。本像が伝来した観音寺は、戦国~江戸時代初期の成立が推定されるものの、詳しい創建事情は知られない。ただ、この辺りはかつての静川荘の荘域に当たり、同荘が鎌倉時代に高野山寺領に属したこと、また江戸時代には観音寺が高野山と直接的に関係したらしいことが確かめられる。こうした事情や、その密教尊としての姿を考慮すれば、本像の制作・伝来の背景に高野山との関係を想定することもできるかもしれない。このように本像は、平安時代前期の遺例として彫刻史上大きな意義を有し、同時に高野山ないしその山麓地域における歴史と仏教活動の実態を考える上にも示唆に富む重要作例といえる。