木造不動明王立像、木造毘沙門天立像、木造毘沙門天立像(毘沙門天立像々内納入) もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう、もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう、もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう(びしゃもんてんりゅうぞうぞうないのうにゅう)
| 員数 | 1躯、1躯、1躯 |
|---|---|
| 地域 | 伊都地域 |
| 所在地 | 伊都郡高野町高野山(高野山霊宝館寄託) |
| 時代 | 平安 |
| 指定年月日 | 平成12年6月27日指定、平成17年6月9日追加指定 |
| 指定等区分 | 国指定 |
| 種類 | 彫刻 |
| 所有者 | 宗教法人金剛峯寺 |
| 管理団体 | 公益財団法人高野山文化財保存会 |
解説
半丈六の不動明王と毘沙門天像で、千手院観音堂の本尊千手観音像の両脇侍と伝えられる。不動明王・毘沙門天を組み合わせる構成は天台寺院に多いが、本像は真言系の最古例である。毘沙門天像は頭部が大きく、誇張気味の見開いた目の表現などが古様であり、その製作は11世紀後半から12世紀前半ごろとされている。不動明王像の方は毘沙門天像よりやや遅れるとみられるが、一具として伝来したものである。
寺伝等によれば、千手院およびその本尊の千手観音、脇侍不動・毘沙門天は蓮意上人が再興・造営したとされており、毘沙門天像内の結縁交名に「蓮意母尼尊霊」と記されることから、これが確かめられた。さらに、同銘記中には「春宮大夫藤原公□」とあり、鳥羽天皇の春宮大夫であった藤原公実(1053-1107年)の同職在位期間から、毘沙門天像は康和五年(1103)から嘉承二年(1107)ころの製作と考えられている。
不動・毘沙門天の造像は盛んに行われたが、本像のように平安時代に遡る大作は少なく、製作年代の特定できる作例としてその保存状態の良好さともあわせて貴重な遺例である。
修理の際、木造毘沙門天立像の胎内から、白檀材製とみられる毘沙門天立像の小像が発見された。頭体幹部から岩座まで一木により彫り出された精緻な像である。12世紀初め頃の製作と考えられ、平安時代後期の華麗な美意識をのぞかせる貴重な像である。