金剛峯寺金堂及び根本大塔 こんごうぶじこんどうおよびこんぽんだいとう
| 員数 | 2棟 |
|---|---|
| 地域 | 伊都地域 |
| 所在地 | 伊都郡高野町高野山152 |
| 時代 | 昭和時代前期 |
| 指定年月日 | 令和6年12月9日指定 |
| 指定等区分 | 国指定 |
| 分類 | 有形文化財(建造物) |
| 所有者 | 金剛峯寺 |
解説
金剛峯寺金堂及び根本大塔は、金剛峯寺9棟(御影堂ほか)とともに、壇上伽藍に建つ主要な堂塔である。
このうち金堂は、高野山一山の総本堂として使われてきた建造物で、現在に至るまで高野山の重要な行事が修されている。幾度もの火災に見舞われながら建て直されてきたもので、現存する金堂は昭和7年(1932年)の再建である。
根本大塔は、真言密教世界を具現する高野山の象徴となる大塔で、金堂同様に何度かの焼失の後、現在の根本大塔は昭和12年(1937年)に再建された。金堂及び根本大塔の再建は、昭和9年(1934年)の弘法大師千百年御遠忌(ごおんき)を記念した主要事業の一つであった。設計は京都帝国大学の建築家・武田五一(たけだごいち、1872-1938)と同大学の建築史家・天沼俊一(あまぬましゅんいち、1876-1947)によるもので、意匠は伝統形式にのっとりながらも、耐震・耐火性能の獲得も目標とされた。そのため、鉄骨鉄筋コンクリート造と木造の混構造が採用されている点に特徴があり、当時最新の建設技術のもとに建設された。
金堂は間口30m、奥行24mの大型の仏堂で、屋根は瓦型銅板葺きである。鉄筋コンクリート造の構造体に木材を貼り付け、あたかも純木造のように見せて造られている。内部は中央に漆塗り板敷きの内陣を取り、周囲に畳敷きの外陣がめぐる。内陣は天井の高い壮麗な空間となり、高野山の総本堂たる高い格式を示す。
根本大塔は間口23m、高さ48mの五間多宝塔で、屋根は瓦型銅板葺きである。下層は四角形平面、上層は円形平面に造り、下層の中央に丸柱で囲まれた八角形の仏壇を設え、大日如来を祀る。外まわりは全て木造とし、伝統的工法によって造られているが、主体部は鉄骨鉄筋コンクリート造として、構造上木造の部分はこれに寄り添うように構成される。これには先行した金堂の建設技術が活かされている。金堂は天沼により古代や中世寺院の細部様式が引用され創作的な意匠で設計されたが、これと異なり根本大塔は礎石や文献調査により史実に基づく「復元」を目指した点に特徴がある。戦後に各地で寺院や城郭が復元されるが、その先駆的な例となる。
上記2棟の建造物のほか、関連する図面や棟札が附指定となり併せて保護が図られる。
金剛峯寺金堂及び根本大塔は昭和前期に建設された鉄骨鉄筋コンクリート造と木造の混構造の堂塔である。日本近代における大型寺院建築の到達点の一つを示す建造物として高い歴史的価値を有している。