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旧栖原家住宅 きゅうすはらけじゅうたく

員数 3棟
構成要素 主屋(おもや)、文庫蔵(ぶんこぐら)、土蔵(どぞう)
地域 有田地域
所在地 有田郡湯浅町湯浅557
時代 明治時代
指定年月日 令和5年4月21日指定
指定等区分 県指定
文化財分類 有形文化財(建造物)
所有者 湯浅町

解説

明治7年(1874年)、湯浅屈指の醤油醸造家である久保家の6代目瀬七が、新たに事業を興す三男のために建造したものである。新たな商号は「フジイチ」とされ、明治39年(1906年)に栖原秋松が久保家より「フジイチ」の事業をそのまま引き継ぎ、卸専門の醤油醸造元として事業を発展させ、昭和57年(1982年)まで当地で醤油を醸造していた。
南北通りである鍛冶町通りの西側に奥行きの深い屋敷地が配され、主屋が通りに面して建てられ、主屋上手背面側に文庫蔵と土蔵が並び建つ。かつては、主屋下手背面側に作業場、麹室が建ち、中庭を挟んで敷地最奥部に規模の大きな仕込蔵があったが、平成4年(1992年)に取り壊された。平成29年(2017年)に湯浅町の所有となり、令和4年(2022年)に保存修理と公開施設整備が完了した。
主屋は、明治7年の建設と伝える、つし2階建、切妻造、本瓦葺で、桁行7間半、梁間5間の主要部の上手に、桁行3間半、梁間3間の座敷棟が落棟(おちむね)で取り付く。1階の表構えは大戸口(おおとぐち)の北に取り外しの可能な半格子とその上手に切子格子を並べるもので、2階は漆喰塗壁に虫籠(むしこ)窓が残され、近世から近代にかけての湯浅の町家開口部の特徴を知ることのできる貴重な構えである。平面は1階の南半は幅1間半のトオリニワと幅2間のツメバの土間列を並べる。
ツメバは製造した醤油を桶や瓶に詰め出荷するための作業空間で、醤油醸造家らしい造りである。北半は床上(ゆかうえ)部とし、トオリニワに沿って正面にミセ、その背面にダイドコロを並べる。ミセの上手はコシノマとし、背面側をナカノマとしてザシキに続く。ナカノマとザシキの背面側はナンドと便所を設ける。ザシキは床の間と違い棚を備えた上質な接客空間である。ダイドコロはトオリニワ境に建具を建てず、天井を張らない開放的な吹き抜けの空間で、その開放性に湯浅の町家の特徴の一つが現れている。小屋組は和小屋組とし登梁(のぼりばり)と水平梁を共用する。
文庫蔵は、桁行3間、梁間2間、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、南面して建つ。外壁を漆喰で塗り籠めた土蔵らしい外観で、屋根は、後世の改変により、本瓦葺の上に桟瓦屋根を乗せている。家財を収納した蔵で、1、2階ともに1室よりなる。建設年代は不明であるが、主屋より古いと伝承され、形式手法から江戸時代末期の建設と考えられる。
土蔵は、桁行6間半、梁間2間、土蔵造2階建、切妻造、本瓦葺で、南面して建つ。東西で2室に仕切り、東側2間を穀庫部とし、醤油作りの原料である大豆、小麦を保管していた。西側4間半は容器庫部とし、樽や瓶などを保管していた。建設年代は不明であるが、形式手法から明治時代前期の建設と見られる醤油醸造関連施設である。
麹室や仕込蔵など醤油醸造の主要施設は残されていないものの、往年の有力醸造家の住まいの姿を伝えている。特に規模の大きな主屋は全体に質が高い。ザシキは端正な意匠であり、また吹き抜けのダイドコロの空間は見応えのあるものである。作業空間である下手のツメバは醤油醸造家らしい独特の造りである。その規模、質ともに、近世を通じ発展してきた湯浅の町家建築の一つの完成形を示すものであり、当地における醤油醸造の歴史と建築を理解する上で重要な文化遺産である。また、鍛冶町通りに構えられた風格ある大型町家の姿は、醤油醸造の町として栄えた時代を伝えるもので、重要伝統的建造物群保存地区の景観に大きく寄与している。

所在地

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