湯浅党城館跡 湯浅城跡 藤並館跡 ゆあさとうじょうかんあと ゆあさじょうあと ふじなみやかたあと
員数 | 53625.5㎡ |
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構成要素 | 湯浅城跡、藤並館跡 |
地域 | 有田地域 |
所在地 | 有田郡湯浅町青木ほか、有田郡有田川町下津野 |
時代 | 平安時代末期~南北朝時代 |
指定年月日 | 令和3年3月26日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
管理団体 | 湯浅町、有田川町 |
解説
平安時代末期から南北朝期の紀伊国において大きな勢力を誇った湯浅一族を中核とする武士団「湯浅党」の城館跡である。湯浅党は豊富な文献史料から西日本における中世前期の武士団の実態が分かる事例として調査研究が行われてきたが、その拠点となる城館の調査はこれまでほとんど行われてこなかった。そのため、平成28年度(2016年度)から有田市・湯浅町・有田川町の3市町が連携して、湯浅氏「一門」の本拠である湯浅城跡、婚姻関係や養子関係による擬制的な血縁関係によって結び付いた「他門」の代表的な存在である藤並氏の本拠地である藤並館跡等の発掘調査を実施した。
湯浅城跡は、戦国時代に改変されているものの、築城時期が13世紀に遡ることが確認され、湯浅氏によりその縄張りが形作られた可能性が高まった。藤並館跡では、現存する土塁の下から13世紀後半に遡る土塁が検出されたことにより、館の基本構造は藤並氏の時代に造られ、戦国期にかけて改変が繰り返されたことが明らかになった。
湯浅党の本拠地に形成されたこれらの城館跡は、豊富に残る文献史料、有田川流域を中心に残る湯浅党関連の寺院や石造物などとともに、中世前期の社会状況を示しており、我が国の中世前期の武士団の在り方を知る上で重要である。