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わかやまの文化財フォトコンテスト わかやまの文化財フォトコンテスト

太田城水攻め堤跡 おおたじょうみずぜめつつみあと

員数 1,247平方メートル
地域 海草地域
所在地 和歌山市出水
指定年月日 令和5年4月21日指定
指定等区分 県指定
分類 史跡
所有者 個人
管理団体 和歌山市

解説

太田城水攻めは、天正13年(1585年)に羽柴秀吉が雑賀衆の立て籠もる太田城を攻めた、紀伊の歴史上重要な戦いであるとともに、岡山県の備中高松城水攻めや埼玉県の武蔵忍城水攻めと並ぶ、羽柴秀吉の天下統一に向けた日本三大水攻めの一つとして知られている。
水攻めの際、太田城の周囲に築かれた堤は、同時代資料の文献『紀州御発向之事』や江戸時代の絵図「総光寺由来並太田城水責図」(和歌山市指定文化財)などの記載と、昭和初期に残存していた中黒田(なかくろだ)、出水(でみず)、吉田(よしだ)、秋月(あきづき)の盛土(出水のみ現在も残存)の位置及び発掘調査で確認された堤の土取り痕跡から、全長約5~7キロメートルの堤に復元されている。
また、出水に現存する南北2か所の盛土遺構のうち南側の盛土遺構について、令和3年(2021年)に和歌山市が発掘調査を行った結果、東西基底幅20.8メートル、上端幅15.8メートル、高さ2.4メートル、長さ66.0メートルの堤跡が残存していることが確認された。堤跡は羽柴秀吉が京都に築いた御土居(おどい)や浅野幸長により築かれた和歌山城三の丸土塁と同様に、山状の盛土と水平の盛土を併用する工法で築かれている。出土品には鉛製の鉄砲玉があり、鉛同位体比分析の結果、16世紀から17世紀初頭に日本に持ち込まれたタイ国のソントー鉱山産出の鉛の成分が検出されている。
これらのことから、この堤状遺構は太田城水攻めの際に築かれた堤跡と考えられ、雑賀衆の解体と近世和歌山城下町建設の契機となった重要な戦いの跡を残す遺跡として学術的価値が高い。