佐野寺跡 さやでらあと
員数 | 772.65平方メートル |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 伊都郡かつらぎ町佐野 |
時代 | 飛鳥時代 |
指定年月日 | 平成28年3月15日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | かつらぎ町 |
解説
飛鳥時代後期の寺院跡である。これまでの発掘調査から、その伽藍配置は法起寺式と考えられ、東に塔、西に金堂、北に講堂、南に門が配置されており、寺域は南北114メートル、東西79メートルの範囲であったと見られる。塔の基壇外装が木製と見られることは、全国的にも稀有な例である。川原寺(かわらでら)式軒丸瓦(のきまるがわら)、本薬師寺(もとやくしじ)式軒丸瓦、巨勢寺(こせでら)式軒丸瓦が出土しており、7世紀後半の造営と考えられる。
発掘調査により伽藍配置が確認されているとともに寺域や造営時期が判明しており、また、『日本国現報善悪霊異記(日本霊異記)』の「狭屋寺(さやでら)」に比定されるなど、和歌山県の古代の歴史を考える上で重要な寺院跡である。