蘭島及び三田・清水の農山村景観 あらぎじまおよびみた・しみずののうさんそんけいかん
地域 | 有田地域 |
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所在地 | 有田郡有田川町三田・清水 |
時代 | 江戸時代~現代 |
指定年月日 | 平成25年10月17日選定 |
指定等区分 | 国選定 |
文化財分類 | ⽂化的景観 |
所有者 | 国、和歌山県、有田川町、個人ほか |
解説
有田川の上流域では、穿入蛇行(せんにゅうだこう)により形成された河岸段丘が形成されており、広く水田耕作が行われている。その中でも、河川蛇行部へ弧状に張り出した段丘地形において棚田が展開する蘭島(あらぎじま)は、審美的な観点からも価値が高い。
中世の阿弖河荘(あてがわのしょう)に遡る当地において、現在に繋がる土地利用の基礎が築かれたのは、大庄屋笠松左太夫が集落・農地開発を行った近世である。明暦元年(1655年)には、有田川支流の湯川川に井関を設け、「湯」と称する灌漑(かんがい)水路網を整備することにより、水田化が進展した。それぞれの湯では「田人(たど)」と呼ばれる水利組合が組織されており、現在も部頭(水利組合長)の下に水守が定められ、水路の補修・清掃・管理が共同で行われている。
また、耕地が限られる当地では、畦畔や集落の後背斜面等も山畑に利用された。かつて和傘に用いられた保田紙(やすだがみ)の原料であるヒメコウゾのほか、シュロ・チャノキ・サンショウなど、特徴的な植生を確認することができる。
このように蘭島及び三田・清水の農山村景観は、有田川上流域に形成された独特の河岸段丘地形において営まれてきた農業及び山の利用による文化的景観である。