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道成寺境内 どうじょうじけいだい

ノーイメージ画像
員数 30253.71㎡
地域 日高地域
所在地 日高郡日高川町鐘巻1738,御坊市藤田町
時代 白鳳時代~江戸時代
指定年月日 平成25年3月27日指定
指定等区分 国指定
文化財分類 史跡
所有者 道成寺ほか

解説

日高川の河口から4キロメートルほど遡った北岸の小高い丘に位置している。正面の石段を登ったところに仁王門、その奥の正面に本堂が建っている。本堂の東南には三重塔、東側には書院と庫裏(くり)がある。本堂の西側には護摩堂(ごまどう)と鎮守3社、境内の西端には近年建てられた大宝殿・縁起堂が建っている。
開山当時は法相宗であったが、その後真言宗となり、承応年間(1652年~1654年)に真言宗から天台宗に改宗している。道成寺は安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)伝説の舞台として、「道成寺もの」と呼ばれる能や歌舞伎の古典芸能でも知られ、寺伝によれば大宝元年(701年)に文武天皇の勅願(ちょくがん)によって開山したとある。県内に現存する寺院の中では最も古い歴史を持つ。
伽藍の変遷は、発掘調査によって明らかとなっている。創建当時の仏堂は、現在の本堂と同じ場所に建立されており、8世紀後半には境内の整地造成が行われ、法起寺式の伽藍が完成した。平安時代前期には、本堂の南面に孫庇を取り付け、礼堂(らいどう)としての空間を付加する大修理が行われた。正平12年(1357年)には、平安時代に講堂があった場所に本堂を再建し、内部に内陣・外陣を設けて宮殿としている。これが現在の本堂である。
創建当時から現在までこの地で法灯を伝え続けており、仏像・絵巻・建造物・民俗芸能等、多くの文化財が今も残されていることが特筆され、日本の観音信仰を知る上でも重要である。

所在地