濱口家住宅 はまぐちけじゅうたく
員数 | 9棟 |
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構成要素 | 主屋(おもや)、本座敷(ほんざしき)、御風楼(ぎょふうろう)、新蔵(しんぐら)、文庫(ぶんこ)、南米蔵(みなみこめぐら)、北米蔵(きたこめぐら)、大工部屋(だいくべや)、左官部屋(さかんべや) |
地域 | 有田地域 |
所在地 | 有田郡広川町広1292 |
時代 | 江戸後期~明治時代 |
指定年月日 | 平成26年9月18日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 東濱植林株式会社,広川町 |
解説
近世初期に銚子に赴いてヤマサ醤油の基礎を築き、その後江戸で醤油問屋「廣屋(ひろや)」を営み今日に至る、濱口家の本邸である。「稲むらの火」で有名な濱口梧陵とは同族であり、梧陵の西濱口家(濱口儀兵衛家)に対し、東濱口家(濱口吉右衛門家)とも呼ばれる。
宝永の大津波後にこの地に移転したと伝え、主屋は改造が多いが江戸時代後期の町家建築である。本座敷は文化年間の建築と伝えられ、商人ながら紀州藩地士の地位を得た家柄にふさわしい格式を示す。御風楼は明治後期の竣工で、当時政財界で活躍した9代目吉右衛門容所(きちえもんようしょ)により建てられ、和風を基調としながらも形式にとらわれない自由な発想のもと、庭園とともに計画された優れた建造物である。ガラスや鋼材など近代特有の材料を多用するなど、近代和風建築として価値が高い。
このほか江戸時代後期から明治にかけて建てられた土蔵、煉瓦塀なども残り、屋敷が発展する過程をよく示している点で貴重である。