浄妙寺本堂 じょうみょうじほんどう
員数 | 1棟 |
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地域 | 有田地域 |
所在地 | 有田市宮崎町1000 |
時代 | 鎌倉時代後期 |
指定年月日 | 明治37年8月29日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 浄妙寺 |
解説
有田川の河口近くに位置する臨済宗妙心寺派の名刹(めいさつ)である。寺伝によれば、大同元年(806年)平城天皇の母乙牟漏(おとむろ)皇后の勅願により、鑑真の高弟で唐僧の如宝(にょほう)を開基に迎えて創建された律宗寺院と伝えられる。七堂伽藍の大寺で、室町時代には当地の豪族・宮崎氏の庇護を得たが、天正年間に兵火に遭い、本堂と多宝塔を残して建物の多くが焼失した。正保4年(1647年)に初代紀州藩主徳川頼宣が復興させ、臨済宗に改宗したという。
本堂は薬師堂とも呼ばれ、桁行三間、梁間三間、寄棟造、向拝(こうはい)一間、本瓦葺の建物である。この建物は、様式や手法から鎌倉時代の建築と考えられる。しかし、当初の部材は組物(くみもの)、軒廻り、天井、内陣(ないじん)柱、須弥壇(しゅみだん)などで、他は江戸時代中期の後補(こうほ)材である。元は和様を基調としたものであったが、江戸時代の修理で禅宗様を取り入れて現在の形になった。
須弥壇は、前面中央に階段を設けて周囲に高欄(こうらん)を巡らし、格狭間(こうざま)には銅板押出の孔雀一対を貼り付ける。壇全体は黒漆塗とし、螺鈿(らでん)を散りばめて華やかに飾る。