明秀上人廟所 みょうしゅうしょうにんびょうしょ
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 海南市下津町曽根田651 |
指定年月日 | 昭和46年3月22日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 光雲寺 |
解説
明秀上人は紀北海岸一帯を教化し、多数の民衆を浄土教に導いた名僧である。上人は晩年を下津小原(おばら)の明秀寺と、この竹園社(ちくえんしゃ)で過ごし、長享元年(1487年)に85歳で亡くなった。
この廟は上人の逆修墳墓(ぎゃくしゅうふんぼ)(生前に自分の死後の冥福を祈るための墓)で、墓碑銘には「逆修明秀上人」、「文明十七年四月日」とある。廟墓の構造は、石造の横穴式で、板状の花崗岩を組み合わせ、箱形の石槨(ぜっかく)を造る古墳の石室のような形式である。