荒田神社本殿 あらたじんじゃほんでん
員数 | 1棟 |
---|---|
地域 | 那賀地域 |
所在地 | 岩出市森237 |
時代 | 江戸時代 |
指定年月日 | 平成7年4月11日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 荒田神社 |
解説
延喜式内社(えんぎしきないしゃ)に列せられた由緒があり、羽柴秀吉による天正年間の兵火で社殿が焼失したという。
現在の本殿はその後程なく再建されたもので、形式手法からも17世紀の前期と考えられる。本殿はやや小さめの三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)である。身舎(もや)、庇(ひさし)とも蟇股(かえるまた)の彫刻などで賑やかに飾り、妻(つま)の飾りは泉南地方との関係も見られる。神社に紀州出身の幕府御大工・平内正信(へいのうちまさのぶ)が送った板札(いたふだ)が残されていることは注目に値する。