根来寺境内 ねごろじけいだい
地域 | 那賀地域 |
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所在地 | 岩出市根来2166-1ほか |
指定年月日 | 平成19年2月6日指定、平成22年2月22日追加指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 根来寺 |
解説
覚鑁(かくばん)上人が大治5年(1130年)に高野山に大伝法院(だいでんぽういん)と密厳院(みつごんいん)を創建したことに始まり、正応元年(1288年)に根来の地に移転した。室町時代から戦国時代にかけて大きく発展し、山内には2,700余りの坊舎があったとも伝えられ、強大な勢力を誇っていた。天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州攻めによって、その多くが焼亡したが、江戸時代に入って復興され今日に至る。
発掘調査の結果、15世紀から16世紀の段階に寺院が拡大し、遺構が中世末の状態のまま地下に保存されていることが判明した。子院(しいん)は斜面を造成して石垣などを築いて平坦地を造り、仏堂や主坊、倉庫、井戸,便所などを構えている。出土品は強く火を受けたものが多く、紀州攻めにおける焼き討ちの状況を如実に物語る。
中世における寺院の成立と展開、政治・経済等との関連を具体的に知ることができ重要である。