金剛峯寺奥院経蔵 こんごうぶじおくのいんきょうぞう
員数 | 1棟 |
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地域 | 伊都地域 |
所在地 | 伊都郡高野町高野山 |
時代 | 桃山時代 |
指定年月日 | 大正11年4月13日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 金剛峯寺 |
管理団体 | 公益財団法人高野山文化財保存会 |
解説
奥の院は高野山の東北部に位置し、承和2年(835年)に入定(にゅうじょう)した空海の御廟(ごびょう)を中心に開けた霊域で、山内で最も神聖な場所とされている。藤原道長の参詣の後、皇族・貴族の登山が相次ぎ、それに伴って庶民の参詣や納骨信仰が盛んになり、高野山の納骨信仰は鎌倉時代に全国的に普及した。今日、一の橋から御廟前の燈籠堂(とうろうどう)に至る約2キロメートルの参道の両脇には、数百年を経た大杉がそびえる中、小は数十センチの一石五輪塔から大は数メートルの大名墓まで、20万基を超えるといわれる大小さまざまな墓石が並び、人々の大師信仰を窺い知ることができる。
奥院経蔵は弘法大師御廟の南東に近接して建つ建物である。経蔵正面に懸かる扁額(へんがく)銘によって、慶長4年(1599年)、石田三成がこの経蔵を建立して高麗版一切経(こうらいばんいっさいきょう)を寄進したことが分かる。建物は方三間、宝形造(ほうぎょうづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)で、内部には本尊文殊菩薩騎獅(もんじゅぼさつきし)像を正面にした八角形の回転式輪蔵(りんぞう)を備え、一切経6,285帖(ちょう)が納められていた。内部は輪蔵を含め全面にわたって彩色が施されており、木鼻(きばな)などの彫刻とともに桃山時代の特色を示している。