菊池海荘宅跡 きくちかいそうたくあと
| 員数 | 2,038㎡ |
|---|---|
| 地域 | 有田地域 |
| 所在地 | 有田郡湯浅町栖原 |
| 指定等区分 | 国登録 |
| 分類 | 史跡 |
解説
湯浅出身で、房総での鰯網(いわしあみ)漁により江戸で干鰯問屋(ほしかどんや)、砂糖問屋等を経営した豪商の家に生まれた菊池海荘(1799~1881)の宅跡である。
菊池海荘は、天保年間の飢饉に際し、栖原(すはら)坂改修等の救荒(きゅうこう)策を講じ、紀州藩に多くの建議を行った。また広(ひろ)村出身の濱口梧陵(はまぐちごりょう)らと幕府や朝廷へ紀淡(きたん)海峡の海防を献策し、実際に六斤野戦砲(ろくきんやせんほう)等を製造し広村天王(てんのう)浜に設置した。また地域の青年教育に尽力した人物で、漢詩文を学び、多くの儒者(じゅしゃ)・文人等と交わる知識人ネットワークの中核を成し、民衆からの明治維新を担った。
菊池家は出身の栖原に本宅を置いており、菊池海荘の宅跡は本家の南東に位置し、約2,000㎡の屋敷地が現存している。建物は既に解体されているが、敷地の西と北を画する土塀や、菊池海荘家に伝来した屋敷図面と一致する地割と、井戸や石組水路、「神社」と記される鹿島祠(かしまし)等の遺構が敷地内に残る。
湯浅町栖原には豪商の住宅跡が残るが、菊池海荘宅跡はその一つであり、幕末、私財を投じ、民衆からの明治維新を担った一人である海荘の事績を物語る遺跡である。
なお、本件は、湯浅町文化財保存活用地域計画(令和3年12月認定)に基づく文化財の登録提案による登録事例である。