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わかやまの文化財フォトコンテスト わかやまの文化財フォトコンテスト

絹本著色当麻曼荼羅図 けんぽんちゃくしょくたいままんだらず

ノーイメージ画像
員数 1幅
地域 海草地域
所在地 和歌山市梶取(和歌山市立博物館寄託)
時代 鎌倉~南北朝
指定年月日 令和5年4月21日指定
指定等区分 県指定
種類 絵画
所有者 宗教法人総持寺

解説

本作は、和歌山市梶取に所在する西山浄土宗の寺院、総持寺に伝来した当麻曼荼羅図である。当麻曼荼羅とは、一般に、奈良県葛城市の當麻寺(たいまでら)に伝わる「綴織当麻曼荼羅図」(唐代、または奈良時代)の図様に基づいて制作された絵画を指す。中国・唐代の善導(ぜんどう)が著した『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』を絵画化したもので、中央に阿弥陀如来を中心とした極楽浄土の世界を描き、その左縁に『観無量寿経』の物語、右縁に十六観(十六の観想の方法)のうちの十三観、下縁に十六観のうちの三観を展開した九品往生観(くほんおうじょうかん)の各場面を描く。
法然の高弟で西山派の祖である証空(しょうくう)は、善導の思想を体現するものとして当麻曼荼羅に着目、嘉禎3年(1237)に當麻寺の原本を転写し、また縮小写本数点を作って日本国中に広めた。これにより証空系統の当麻曼荼羅が広く制作されることとなった。
本作は縦157.5㎝、横138.0㎝で、面積が原本の約1/6のいわゆる六分一(ろくぶいち)曼荼羅である。下縁の九品来迎図に描かれる阿弥陀如来が立像形式で描かれていることが、証空(西山派)系統本の特色を示している。絹本著色で絹継ぎはなく、一枚絹からなる。この規模の掛幅としては比較的損傷が少なく、補筆もほとんど見られない。また平成30年(2018)に本格解体修理がなされており、状態は良好である。
 本作は、中央の阿弥陀を肉身金泥、着衣彩色で描く。こうした表現は、着衣に截金を使用するものや肉身と着衣を皆金色とするものと比べ、比較的古様に属するとされている。小さい菩薩衆などはやや素朴な筆致だが、中央の阿弥陀三尊のうち観音菩薩・勢至菩薩などは緊張感のある線で表され、理知的な面持ちを見せる。その制作年代は、こうした表現などから、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての14世紀前半とみられる。
本作の伝来した総持寺は、宝徳年間(1449-1452)に紀州に入った明秀光雲(みょうしゅうこううん)によって開創された。明秀が紀州各地で建立・中興した寺院は18か寺にもなるという。総持寺は梶取本山とも呼ばれる西山浄土宗檀林三か寺のひとつで、寛文年間(1661-1673)には紀伊・和泉の88か寺の末寺を有したとされる。羽柴秀吉の紀州攻めに遭いそれ以前の記録は残っておらず、本作の伝来は明らかではない。
明秀は証空以来の教義を継承して当麻曼荼羅を重視した。中世の当麻曼荼羅は、禅林寺本など複数の寺院を移動してきたものが知られている。本作は制作年代が総持寺自体の創建よりも遡ることから、開創にあたって明秀が別の寺院から譲り受けたという可能性も考えられる。
 このように、本作は、県内の西山浄土宗の有力寺院である総持寺に伝来する、14世紀前半に遡る数少ない当麻曼荼羅図のひとつとして価値が高い。

所在地