紀伊徳川家墓所 きいとくがわけぼしょ
| 員数 | 1,253平方メートル |
|---|---|
| 地域 | 海草地域 |
| 所在地 | 和歌山市吹上一丁目5番3 |
| 指定年月日 | 令和7年3月18日指定 |
| 指定等区分 | 県指定 |
| 分類 | 史跡 |
| 所有者 | 報恩寺 |
解説
和歌山市吹上に所在する日蓮宗報恩寺(ほうおんじ)の境内に立地する。寛文6年(1666年)に紀伊徳川家初代藩主・徳川頼宣の正室・瑶林院の菩提を弔うため、二代藩主・光貞により墓所が整備された。墓所内には、藩主正室の墓石をはじめ、藩主の側室・子息・息女の墓石が建立されている。
当墓所については、『南紀徳川史』において明治8年(1875年)に改葬が行われたことが記されているが、改葬の痕跡や絵図との比較から、瑶林院の墓石やその周囲の改修は行わずに現在の墓石配置に改修したと考えられる。
御三家である紀伊徳川家の藩主に関係する人物の墓所であり、墓石が良好に残存しているだけでなく、江戸時代から明治初頭にかけての親藩における墓所の変遷が確認できるという特質を有しており、資料的価値が高い。