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金輪塔 きんりんとう

金輪塔1
員数 1基
地域 伊都地域
所在地 伊都郡高野町高野山689
時代 江戸時代(天保5年)
指定年月日 令和6年3月4日指定
指定等区分 県指定
所有者 金剛峯寺

解説

高野山の中で一心院谷(いっしんいんだに)と称される地域に所在する多宝塔である。高野山の中興に尽力した明算大徳(めいざんだいとく)が自らの廟所として建設した。本尊は金輪仏頂尊(きんりんぶっちょうそん)で「金輪塔」の名の由来となる。
江戸時代後期に火災により類焼し、天保5年(1834年)に再建されたものである。国宝(建造物)金剛峯寺不動堂は明治41年(1908年)に高野山壇上伽藍(だんじょうがらん)に移築されたが、移築前はこの不動堂と対をなす多宝塔であった。現在は宗教法人金剛峯寺が所有し管理されている。
三間(さんけん)多宝塔、檜皮葺屋根で、東面して建つ。割石で囲んで亀腹(かめばら)を造り、礎石を据える。
下層は一室に造り、四周に勾欄(こうらん)付きの縁(えん)を回し、正面に階段を設ける。身舎(もや)柱を丸柱の四天柱(してんばしら)とし、周囲の庇(ひさし)柱を角柱とする。四天柱の背面寄りは来迎壁(らいごうへき)を造り須弥壇(しゅみだん)を構え、漆塗りで仕上げる。室内は板張りの床で、天井は格天井(ごうてんじょう)とする。柱間は正面、側面の中央間を桟唐戸(さんからど)に明障子とし、脇間は連子窓に造る。背面は片引板戸に明障子、脇間は板壁とする。下層組物は出組(でぐみ)として軒桁を支える。軒は二軒繁垂木(ふたのきしげたるき)とし、隅木には風鐸(ふうたく)を吊る。
上層は下層屋根上の亀腹上に造る。亀腹は銅板葺とする。上層平面は丸柱による円形平面とし、周囲に勾欄付きの縁を回す。長押を回し柱間は板扉と連子窓に造る。組物は四手先(よてさき)組物とし、軒は二軒繁垂木、隅木には風鐸を吊る。
屋根は下層、上層ともに檜皮葺で上層には露盤(ろばん)を据え、相輪(そうりん)を掲げる。相輪の上部からは屋根の四隅に宝鎖(ほうさ)を下げる。
総間が5メートルあまりの比較的規模の大きな多宝塔で、軒の出は深くとられるが、上層の屋根勾配は強くされ、時代の特徴が現れている。県内に残る数少ない江戸時代後期建設の三間多宝塔として貴重である。

所在地

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