橋本太次兵衛家住宅 はしもとたじべえけじゅうたく
員数 | 3棟 |
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構成要素 | 新座敷(しんざしき)、旧米穀集荷事務所(きゅうべいこくしゅうかじむしょ)、土塀(どべい) |
地域 | 日高地域 |
所在地 | 御坊市湯川町小松原256 |
時代 | 明治後期・大正後期 |
指定年月日 | 令和2年4月3日登録 |
指定等区分 | 国登録 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 個人 |
解説
御坊市湯川町小松原の旧熊野街道沿いに位置している。当家は代々、太次兵衛を名乗り、近世より肥料商と砂糖問屋を営んだ家である。近代になっては多くの田畑を取得し、当地方屈指の大地主となった。屋敷は南北に通じる街道を挟み、東西に構えられる。西側が主な屋敷で、近年建て替えられた主屋のほか、北側中央に新座敷が建つ。街道東側の屋敷は当家の米穀集荷事務所として使われた敷地である。
新座敷は、木造2階建、瓦葺で、東面して建つ。建設年は不明であるが、明治45年(1912年)に執り行われた先々代の嫁入りに際し、庭園とともに造られたと伝承されている。
正面にむくり破風を付けた玄関を構え、建ちの高い独特の外観を見せる。玄関を入ると踏み込み土間を設けた玄関取り次ぎの間で、その西側が8畳間の座敷である。北側に床の間、押入を構え、竿縁天井を張る。押入には仏壇を備える。2階は8畳1室よりなる。1階同様、北側に床の間を配した座敷であるが、視界を2方に開放した心地よい座敷で、日高平野の眺望を楽しむことができる瀟洒な部屋となっている。新座敷は明治後期に建設された、比較的小規模かつ建ちの高い外観に独特のものがあり、当主の好みが表れている。木目の詰まった良材を用いており、内部は良く手入れされている点も評価できる。
旧米穀集荷事務所は、街道を挟み主屋に向いあって建つ、ペンキ塗りの洋館である。大地主であった橋本家は、この事務所において小作米の集荷とその事務を執っていた。戦後は湯川郵便局の局舎として、昭和21年(1946年)から昭和55年(1980年)まで使用された。建築年は不明であるが、大正後期と伝える。木造平屋建、瓦葺で、街道に面して建ち、外壁は下見板張り、ペンキ塗りとした洋風の造りである。正面玄関庇の軒先飾りや、繰形を繰った下見板など華やかな意匠が特徴である。内部は東西に部屋を2室並べ、西側の部屋が玄関を兼ねた前室、東側の部屋が事務室である。西の前室はカウンターと電話室を設けているが、これらは郵便局時代の改造である。東の事務室は、本格的な洋室の造りになる。床は板張り、壁はケヤキの腰板を張り、その上は大津壁とする。天井はニス塗りの天井である。窓は洋風の上げ下げ窓である。
土塀は、旧米穀集荷事務所の北側にあって屋敷と街路を画す塀で、北側は水路に接する。瓦葺の土塀で、高く石垣を積み、土塀を造り、表面をモルタル洗い出し仕上げとし、上部は鉢巻を作る。短い距離の土塀ではあるが、丁寧な基礎石積みの上に、洗い出し仕上げの壁面に瓦を葺いた上質なもので、敷地の北面を引き締めている。建築年代は不明であるが、大正後期に建てられたものと考えられる。
街道を挟む広大な屋敷には、新座敷や旧米穀集荷事務所や土塀が残る。新座敷はむくり屋根の玄関を突きだした建ちの高い独特の外観で、内部は端正な意匠の座敷を備えた上質な近代和風建築である。旧米穀集荷事務所は街道沿いに建つ洋館で、大地主であった当家の経営にとって重要な役割を果たしていた。戦後は湯川郵便局舎としても使われ、洋風の外観は地域社会のシンボルにもなっており、熊野街道沿いにあって、当地の歴史的景観の形成に寄与している。