上矢印を示すアイコン 外部リンクを示すアイコン Xを示すアイコン Lineを示すアイコン Facebookを示すアイコン リンクコピーを示すアイコン グリッドレイアウトを示すアイコン リストレイアウトを示すアイコン 左矢印を示すアイコン 右矢印を示すアイコン

高野参詣道 町石道 こうやさんけいみち ちょういしみち

地域 伊都地域
所在地 伊都郡高野町、かつらぎ町、九度山町
指定年月日 昭和52年7月14日指定、平成9年3月6日追加指定、平成27年10月7日追加指定・名称変更(旧名称:高野山町石)、平成28年3月1日追加指定
指定等区分 国指定
文化財分類 史跡
管理団体 高野町、かつらぎ町、九度山町

解説

高野山への参詣道は「高野七口(ななくち)」といわれるように7ルートあり、このうち高野街道西口がメインルートで、町石道と呼ばれている。紀の川南岸に位置する九度山町慈尊院からかつらぎ町の天野(あまの)を経て、高野山の壇上伽藍・奥の院御廟(ごびょう)に至る約24.6キロメートルの道筋で、平安時代から木製の町卒塔婆(ちょうそとば)が建てられてきた。
高野山遍照光院(へんじょうこういん)の沙門覚斅(かくきょう)が文永2年(1265年)に発願(ほつがん)し、天皇・公家・武家・庶民に至る喜捨(きしゃ)を得て、弘安8年(1285年)までかけて花崗岩製の五輪卒塔婆を建立した。
町石の配列については、真言密教の教義にのっとり、壇上伽藍を中心(起点)に慈尊院側は胎蔵界(たいぞうかい)の諸尊の数に充て180町、奥の院側は金剛界(こんごうかい)の諸尊の数に充て37町に分け、1町(約109メートル)ごとに町卒塔婆を建てている。地輪(ちりん)の長い一石(いっせき)五輪塔婆で、高さ1丈(約3メートル)、幅1尺(約30センチ)。下から地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)を表す各輪(りん)に五大種子(しゅじ)(梵字(ぼんじ))、町(または里)数を彫り、その下に建立施主名、側面に年号が刻まれている。
220余基の塔婆のうち、鎌倉時代のものが8割以上残されており、修理や補足がなされ、今日まで連綿と守り続けられてきた。信仰上においても、度量衡(どりょうこう)上においても、重要な遺跡である。

所在地