岩橋千塚古墳群 いわせせんづかこふんぐん
特別史跡名勝天然記念物
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 和歌山市岩橋ほか |
指定年月日 | 昭和6年7月31日指定、昭和27年3月29日特別史跡指定、昭和63年12月21日追加指定、平成12年3月29日追加指定、平成28年10月3日追加指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 和歌山県 |
解説
4世紀末から7世紀にかけて和歌山市岩橋(いわせ)丘陵周辺に築かれた約900基の古墳からなる国内最大規模の群集墳である。古墳は指定地内に約500基あまり所在し、直径8~30メートル前後の小型の円墳が多いが、丘陵上には全長20~105メートル前後の前方後円墳が立地しており、古墳時代の首長墓(しゅちょうぼ)と考えられる。しかし、6世紀後半以降には前方後円墳が造られなくなり、首長墓は大型の円墳や方墳へと移り変わった。
古墳の内部施設としては、横穴式石室・竪穴(たてあな)式石室・箱式石棺・粘土槨(ねんどかく)などが見られる。横穴式石室には結晶片岩(けっしょうへんがん)を部材として石梁(いしはり)・石棚(いしだな)を持つ精巧なものがあり、全国的にも珍しく大変貴重である。
近年調査された大日山35号墳からは、滑空する姿の「翼を広げた鳥形(とりがた)埴輪」、表と裏に顔を持つ「両面人物埴輪」をはじめとする多数の形象埴輪が出土しており、和歌山県の古墳文化の特色を知ることができる。
古墳を造った人々は和歌山平野を支配した豪族と考えられ、彼らは日前宮(にちぜんぐう)周辺の平野に宮井用水と呼ばれる水路を巡らし、広い水田を開発していた。なお、この古墳群や紀の川下流の5~6世紀の古墳からは朝鮮半島製の土器や馬具、装飾品などが出土しており、『日本書紀』などの記述から、これらの古墳の被葬者を朝鮮半島と深い関係があった紀氏(きし)とする説もある。
この古墳群のうち、岩橋前山(いわせまえやま)・大日山(だいにちやま)・大谷山(おおたにやま)地区の約500基(約63万平方メートル)が特別史跡に指定され、「和歌山県立紀伊風土記の丘」として公開されている。