小原桃洞墓 おはらとうどうはか
員数 | 1墓 |
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地域 | 海草地域 |
所在地 | 和歌山市吹上五丁目1-5 |
指定年月日 | 昭和33年4月1日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 宗教法人大恩寺 |
解説
小原桃洞は紀州藩の本草学の先覚者として、その功績が高く評価されている人物である。文政8年(1825年)7月11日に和歌山で没しており、門人たちにより大恩寺(だいおんじ)に葬られた。墓碑は、二重の台石の上に主石を置く形で、台石は花崗岩、主石は砂岩である。正面に「桃洞小原先生墓」、右側に「文政八乙酉年七月十一日」と刻まれている。