岡山の時鐘堂 おかやまのじしょうどう
地域 | 海草地域 |
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所在地 | 和歌山市吹上一丁目 |
指定年月日 | 昭和33年4月1日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 和歌山市 |
解説
第5代藩主徳川吉宗の時代、正徳2年(1712年)9月に建立され、藩士に登城を促すとともに、時刻を城下に知らせる役割を担った。2人の番人によって管理され、城下の出火や出水、異国船の出没などの非常事態には早撞きで知らせたという。明治維新後も使用されていたが、大正10年(1921年)3月31日をもって時報が廃止され、その役目を終えた。
1階柱間が約6メートルの2階建ての建物で、1階は土間、2階には床を張っており、大梁(はり)の中心に梵鐘(ぼんしょう)を釣る。この梵鐘は、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣方が使用し、その後は紀州藩が保管していた青銅製の大筒を、元禄年間に第2代藩主光貞が粉河の鋳物師に命じて改鋳したものであると伝えられる。
なお、現在の本町五丁目付近には、慶長5年(1600年)に浅野幸長が設置した時鐘屋敷があり、明治末期まで時鐘を響かせていたというが、始成尋常小学校(後の和歌山市立本町小学校)の敷地拡張のため、大正6年(1917年)に取り壊された。