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戦国末期の覇者 豊臣秀吉の足跡を訪ねるコース

和歌山市

戦国時代末期に全国統一を果たした豊臣(羽柴)秀吉(1537~1598)も紀伊国にいくつかの足跡を残している。天正13年(1585年)大軍を率いて紀州討伐に遠征している。和泉国の根来方の城砦を次々と陥落させ、根来寺と粉河寺を焼き払っている。また、JR和歌山駅の東側に位置していた太田城をわずか数日間で堤防を築いて取り囲み、水攻めにしたことは有名である。現在、その堤跡の一部が和歌山市出水に残されており、史実であったことを物語っている。
秀吉は、紀州支配の中心地として和歌山市の吹上峰に城を築くこととし、自ら縄張りをして本丸と二の丸を築造させたと伝えられる。和歌山城の基礎は、秀吉によって築かれている。