熊野を参詣した上皇たちの足跡を訪ねるコース
西牟婁地域
平安時代後期の応徳3年(1086年)から始まる白河上皇の治世から平家滅亡の文治元年(1185年)の頃までを院政時代とも呼ぶ。院政は、在位する天皇の直系尊属である太上天皇(上皇)が、天皇に代わって治天の君として国の政務を行う政治形態である。白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇から鎌倉時代初期の後鳥羽上皇まで続いたが、各院や貴族は熱心に熊野参詣を行った。参詣した回数は、白河上皇9回・鳥羽上皇21回・後白河上皇34回・後鳥羽上皇28回に及ぶ。
参詣ルートは、京都の城南宮を出発して淀川を下り、久保津で上陸して、陸路を南下し、雄ノ山峠から紀伊に入り海岸線を南下し、田辺から内陸部の中辺路ルートで本宮へと向かうものである。さらに本宮からは陸路と熊野川で新宮、那智へと至る路程である。参詣道の沿道には、熊野三山の御子神などを祀った王子社が造営された。熊野九十九王子と呼ばれており、現在も各所にその名残りをとどめており、藤原為房の日記『為房卿記』、藤原宗忠の日記『中右記』などに詳細が記録されている。