丹生都比売神社本殿 にうつひめじんじゃほんでん
員数 | 4棟 |
---|---|
構成要素 | 附指定:宮殿4基 |
地域 | 伊都地域 |
所在地 | 伊都郡かつらぎ町上天野230 |
時代 | 室町時代後期、江戸時代中期、明治34年 |
指定年月日 | 昭和40年5月29日指定 |
指定等区分 | 国指定 |
文化財分類 | 有形文化財(建造物) |
所有者 | 丹生都比売神社 |
解説
丹生四所明神(にうししょみょうじん)、または天野(あまの)大社とも呼ばれ、古来、高野山の鎮守の神として知られる。丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)は我が国に初めて稲作を教えて生命の糧を授けたという伝説がある。また、空海が高野山を開創した際にはこの神の指図に従ったといい、霊験あらたかな神社として崇敬厚く、現在もなお高野山の鎮守として仰がれている。
神社の創建は古く、古くから祀られていた丹生明神と、高野山開創に関係のあった狩場(かりば)明神(高野(こうや)明神)及び承元2年(1208年)に遅れて勧請された気比(けひ)明神と厳島(いつくしま)明神の四柱を第一殿より第四殿にそれぞれ祀っている。
本殿の建立年代は第一殿が正徳5年(1715年)、第二殿と第四殿が文明元年(1469年)、第三殿が明治34年(1901年)である。各殿とも一間社春日造(いっけんしゃかすがづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、それぞれ内部に一間春日見世棚造(みせだなづくり)の宮殿(ぐうでん)を収める。各殿は正面柱間が約3.4メートルもあり、一間社春日造の社殿では最大級のものである。また、宮殿は嘉元4年(1306年)の銘があり、前身社殿のものと見られる。