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田島漆店旧工場 たじまうるしてんきゅうこうじょう

田島漆店旧工場1
員数 5棟
構成要素 玄関棟(げんかんとう)、食堂(しょくどう)、商品蔵(しょうひんぐら)、新蔵(しんぐら)、詰場(つめば)
地域 海草地域
所在地 海南市船尾166,167,170
時代 大正後期~昭和中期
指定年月日 令和元年12月5日登録
指定等区分 国登録
文化財分類 有形文化財(建造物)
所有者 個人

解説

海南市船尾(ふのお)に所在する工場兼住宅である。離接する黒江は、漆器生産が盛んであり、田島漆店は昭和前期に漆生産で県内随一の規模を誇り、この工場から精製、調合された漆が黒江の漆器生産を支えた。
初代田嶋弥助は明治5年(1872年)頃より、日方(ひかた)で漆器製造を始めたとされ、明治中期に漆器の原材料の一つである漆製造に転業した。明治後期には2代目弥助が事業を軌道に乗せ、大正2年(1913年)に船尾の現在地を購入し、工場を移転させた。昭和前期にはほぼ現在の工場の姿が整った。戦後の漆販売の低迷により平成14年(2002年)に工場での生産を中止し、しばらく閉鎖されていたが、平成25年(2013年)よりコンサートや展示会などのイベントが地元有志によって実施されるようになり、平成31年(2019年)からはカフェとしても活用されている。
玄関棟は、当工場の表玄関であり、木造、平屋建、切妻造、波形スレート葺の建築である。コンクリート土間の広い1室よりなり、主屋と工場の玄関となる。天井は張らず、鉄骨トラス組の小屋組であり、実用的な建築で装飾的な要素は少ない。工場の顔ということもあって、正面外壁は腰をモルタル洗い出し仕上げとし、その他は軒裏まで黄色の色モルタルで仕上げている。前身となる玄関棟がかつてはあったが、昭和28年(1953年)に現状の玄関棟に建て直した。
食堂は、主屋と玄関棟に接続した南北棟で、食堂、台所、風呂と詰場へと通じる通路を一つの屋根に納めた建物である。木造、平屋建、切妻造、鉄板葺で、屋根は採光のため一部を切り上げている。建設年代は不明であるが、昭和9年(1934年)に主屋が建設され、併せて食堂が建てられたと伝わる。
商品蔵は、地の南西隅に建つ煉瓦造の蔵で、大正11年(1922年)に建設された。西側街路に面し、玄関棟、主屋とともに街路の町並みを形成する。煉瓦造平屋建、切妻造瓦葺で、漆製品出荷前の保管庫として造られた。当初は2階建であったが、昭和28年に事務所として使用するために改装し、2階床を取り払い、現在の姿となった。煉瓦で壁面を積みモルタル塗りで仕上げる。外壁四隅は柱形を付け、鉢巻を回した外観でモダンなものである。
新蔵は、敷地の北西隅に建つ、土蔵造2階建、切妻造瓦葺の建物で昭和9年に建設された。外壁は腰を黒色に塗装した板張で、上部は漆喰塗とした土蔵らしい外観である。高い位置に妻と平面に鉄扉による窓を設け、鉄格子を入れる。また、西妻にはグリルを入れた丸窓を設けアクセントとする。元々1階は、仕入れた生漆(きうるし)を保管した倉庫で、生漆は仕入値が高額であり、かつ夏場に腐敗しやすかったため、この土蔵で保管していたという。現在は地元の有志により、陶芸工房として活用されている。柱には檜(ひのき)の良材が使われており、堅牢に造られた質の高い土蔵である。
詰場は、敷地の南東に建つ。煉瓦造平屋建、切妻造、波形スレート葺の建築である。規模の大きな煉瓦造で、ここで精製・加工した漆を樽に詰める作業を行ったため、この名称がある。主室と前室に分かれ、主室は鉄骨トラスを掛け、大空間を実現している。北妻には銘板が嵌め込まれ、墨書により建設年、改築年等が記されている。これによれば昭和2年(1927年)に上棟、その後白蟻の被害に遭い、昭和33年(1958年)に上棟(改築)したとする。当初は鋸屋根の木造架構であったものを、昭和33年に鉄骨トラスに造り替えたものである。県内で現存する数少ない大型煉瓦造の建造物である。
田島漆店旧工場は、かつて県内一の生産量を誇った工場であり、ここで生産された漆が黒江の漆器生産を支えた。敷地内には現在も往時の建造物群が良く残されている。