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角長(加納家住宅) かどちょう(かのうけじゅうたく)

員数 11棟
構成要素 主屋(おもや)、土蔵(どぞう)、穀蔵(こくぐら)、麹室(こうじむろ)、仕込蔵(しこみぐら)、醤油蔵(しょうゆぐら)、樽蔵(たるぐら)、醤油蔵(北)(しょうゆぐら(きた))、醤油蔵(南)(しょうゆぐら(みなみ))、角蔵(かどぐら)、辰巳蔵(たつみぐら)
地域 有田地域
所在地 有田郡湯浅町湯浅7
時代 江戸末期~大正後期
指定年月日 令和4年12月12日指定
指定等区分 国指定
文化財分類 有形文化財(建造物)
所有者 個人

解説

湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区の北西部に位置し、大仙堀(だいせんぼり)に面して敷地を構えた醤油醸造家の住居及び醸造施設群である。角長は、天保12年(1841年)に現在地で創業し、順次敷地を購入し規模を拡大していった。現在に至るまで醤油醸造を続け、湯浅にあって歴史的建造物において醤油醸造を今日も行う唯一の醸造家となっている。
北町通りの北側には、醤油の積み出しにも使われたとされる大仙堀を背に、東半に居住部及び店舗である主屋や土蔵、穀蔵が建ち、西半には麹室、仕込蔵、醤油蔵が並ぶ。北町通り南の南西部には樽蔵、醤油蔵(北)、醤油蔵(南)が建ち、南東部には角蔵や現在展示施設として使用されている辰巳蔵が建つ。
主屋は、木造、平屋建一部2階建、瓦葺で、東側や北側に座敷や離れを突き出す。主体部は天保12年の創業時のものと考えられ、近代になって増築を繰り返した。主体部の一階は、西寄りに1間半幅のトオリニワを通し、これに沿って店舗や座敷などの部屋列を配する。表構えは格子窓と縦板張りを基調とし、2階には虫籠窓(むしこまど)を開いた伝統的な町家の外観である。
土蔵は、主屋の北東に隣接して建つ、土蔵造、2階建、瓦葺の建物である。建設年代は不明だが、明治中期に遡るものと見られる。穀蔵は、土蔵造、一部2階建、瓦葺の規模の大きな土蔵で、主屋の北西に建つ。現在は倉庫として使われているが、当初は米を納めていた。主屋主体部と同じ江戸時代末期の建築と考えられる。
麹室は、穀蔵の西に隣接して建つ、木造、平屋建、瓦葺で、醤油作りに必要な麹を仕込む建物である。明治39年(1906年)の整備で、内部はレンガ積みの壁で東西2室に区切る。仕込蔵は、麹室の西側に接する規模の大きな蔵で、醤油の醸造を行う。木造、2階建、瓦葺で、江戸時代末期に建設された。内部は24基の仕込桶を並べ、桶の天端(てんば)に合わせて全面に床板を張り、仕込作業を行う2階をつくる。仕込蔵の2階は天井を張らない1室の大空間で、梁や棟木には、醸造による酵母が付着し、角長の醸造施設の中でも特に重要な空間となっている。醤油蔵は、北町通りに面して建つ長大な建物で、木造、平屋建、一部2階建、瓦葺である。江戸時代末期に建設されたが、後に増築を繰り返した結果、構造は大きく3棟に分かれる。内部は間仕切りのない大きな土間の空間で、仕込桶や圧搾機、大釜が据えられ、仕込作業や圧搾、火入などの工程を行う。
樽蔵は、敷地南西部の東角に建つ土蔵造、2階建、瓦葺で、江戸時代末期に建設された。醤油販売用の樽を収納していた蔵である。醤油蔵(北)、醤油蔵(南)は、樽蔵の西と南に並び建つ、木造、平屋建、瓦葺の規模の大きな蔵で、前者は大正12年(1923年)、後者は明治後期に建設された。醤油の貯蔵などを行う蔵群である。
角蔵は南東部の敷地の西側に建つ、土蔵造、2階建、瓦葺の小ぶりな土蔵である。大梁に残る墨書から、明治44年(1911年)に建築されたことが明らかである。辰巳蔵は、南東部の敷地の東に立地する規模の大きな蔵で、土蔵造、平屋建、瓦葺である。別の醸造家により慶応2年(1866年)に醸造蔵として建てられたが、明治後期に角長が取得し西側を増築した。現在は醤油醸造に関する道具などの展示施設として公開・活用されている。
このように、醤油醸造が盛んであった湯浅において創業した醤油醸造家が、明治期以降に事業を拡大していく中で、創業当初の江戸時代末期の建物群を核としながらも拡張・増築を行ってきた過程が良く残る。醤油醸造町として評価されている湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区にあって、伝統的な建造物において醸造を続ける現役の施設であり、歴史的景観を色濃く残す貴重な文化財である。