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川口家住宅 かわぐちけじゅうたく

川口家住宅1
員数 5棟
構成要素 主屋(しゅおく)、応接間(おうせつま)、離れ、納屋(なや)、土塀(どべい)
地域 有田地域
所在地 有田郡有田川町西丹生図456-2
時代 大正前期~昭和中期
指定年月日 平成30年11月2日登録
指定等区分 国登録
文化財分類 有形文化財(建造物)
所有者 個人

解説

有田川町西丹生図(にしにうのず)に所在する。有田川左岸の平野部となり、吉備と金屋を結ぶ県道沿いに位置しており、周辺は宅地化が進むが、蜜柑畑が広がる農村地帯である。
川口家は川口本家より初代が当地に分家し、現当主で3代目となる。代々学校の教員をする傍ら、蜜柑栽培を営んできた。和歌山を代表する洋画家川口軌外(かわぐちきがい)の親戚に当たり、戦時中は軌外が東京から当家に疎開していたこともあった。現在は有田川町内の社会福祉法人が建物を借り上げ、就業支援の施設として活用されている。
屋敷は県道の北側に接して構えられ、中央に南面させて主屋、その南西に応接間を建てる。主屋の東には納屋を建て、敷地の北東には離れ、北西には土蔵(登録対象外)を建てる。
主屋は、桁行5間、梁間5間、平屋建、切妻造、瓦葺で、南面して建つ。大正4年(1915年)に上棟したことが棟札より判明する。下手の台所まわりは20年ほど前に建て替えられている。西を上手とし、東を下手とし、下手は通り土間とする。上手は主要六室よりなり、正面側は玄関からナカザ、カミザを並べる。ナカザは大引天井だが、カミザは床の間を設け、長押を打ち、竿縁天井を張った座敷である。正面玄関の上がり口の空間は土間境に建具を建てない独特のものであり、玄関土間に農家住宅とは異なる趣がある。
応接間は、接客用途の使われ方をしたが、先代当主のピアノ教授の教室としても使われたり、付属の和室は書斎としても使われた。建設は比較的新しく、昭和43年(1968年)である。桁行3間半、梁間2間で、平屋建、切妻造、洋瓦葺である。主屋とは廊下で繫がり、通常は主屋から出入りする。外壁は色モルタル吹き付け仕上げの大壁とし、瓦は洋瓦と、洋風の造りになる。戦後期の独立型洋風応接室の一例を示している。
離れは、主屋を補完する隠居屋のような使われ方をした建物で、客人をもてなす離れ座敷ではなかった。戦時中は親戚であった川口軌外が、離れの2階に疎開していた。桁行3間半、梁間2間で、2階建、寄棟造、桟瓦葺で、正面(南面)を除く3面の外壁は南京下見板の大壁とし、白いペンキを塗った洋風の造りになる。また北側の2階窓は上げ下げ窓とする。内部は完全な和室であるが、外部を洋風とした造りに特徴がある。
納屋は、屋敷の東の街路に接し、東の街路にも入口を開く。農作業の器具を保管したほか、蜜柑の選果にも用いた。桁行6間、梁間2間で、平屋建、入母屋造、桟瓦葺である。外壁は壁板を腰まで張り、その上部は真壁造で漆喰塗とした外観で、内部は土間の1室よりなり、北側1間分は床を造る。
土塀は、屋敷の東側にあって納屋と離れを繋ぐ塀で、屋敷の内外の境界となっている。基礎は石積で屋敷の外面である東面は、壁面を洗い出し仕上げとし、鉢巻まで同様に仕上げる。短い長さの土塀ではあるが、丁寧に仕上げた上質なものとなる。
川口家住宅は川口氏の分家に伴い、主屋が建設され、大正4年に上棟したことが明らかで、近代和風建築の指標の一つとなる建物である。また主屋は農家住宅とは異なる玄関まわりの構成に特徴がある。この主屋を中心に、応接間、離れ、納屋が建ち屋敷が構成される。蜜柑畑に囲まれた屋敷地は当地の歴史的景観の形成に大きく寄与している。