捕鯨の祖和田頼元墓 ほげいのそわだよりもとのはか
地域 | 東牟婁地域 |
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所在地 | 東牟婁郡太地町太地3186 |
指定年月日 | 昭和34年1月8日指定 |
指定等区分 | 県指定 |
文化財分類 | 史跡 |
所有者 | 個人 |
解説
太地(たいじ)は捕鯨業の根拠地として発展した町である。その歴史は古く、鎌倉時代からこの地方の名族として知られた和田家の忠兵衛頼元(よりもと)が、慶長11年(1606年)に鯨を銛(もり)で捕殺する刺手組(さしてぐみ)を作り、組織的な捕鯨業を始めた。これを元祖としてその子孫が代々捕鯨を生業としてきた。頼元の墓は、順心寺の和田家累代の墓地中央にあり、墓石の表面に「鉄菱軒電光全俊居士」、右横に「慶長十九年卯月二月十七日」、左横に「前和田忠兵衛頼元」とある。